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シールを全部集めるとプレゼントまでもらえる

江華シールツアー

江華シールツアーでは江華島の12の主要観光地の入場券を購入するともらえるシール(地図の台紙も)を集め、それを地図に全てはると、プレゼントがもらえる。
12の観光地と江華8景は重なるところが多く、シールツアーをすれば、楽しく江華8景ツアーもでき、子供と一緒に興味深く歴史に触れ合うことができるだろう。
シールを全部はると、江華郡で用意した小さなプレゼンをもらうことができる。
毎年期間を決めて北部ツアー、秋ツアーなど、テーマを決めてイベントをしたりもする。

<シールツアー観光地リスト>平和展望台、花紋席文化館、コインドル(支石墓)、高麗宮址、甲串墩台、広城堡、德津鎭、草芝鎭、傳燈寺、摩尼山、干潟センター、普門寺

草芝鎭

草芝鎭 江華の海岸警戒部隊である12鎭堡の一つである。1871年(高宗8年)の辛未洋擾の時、米軍と衝突した激戦地だ。整備された草芝墩台には大砲が展示されている。
墩台の隣にある松の木は辛未洋擾や雲揚号事件(1875年)の際の砲弾の跡がそのまま残されている。

甲串墩台

甲串墩台 甲串墩台は1679年(粛宗5年)5月に完成した48墩台の一つである。外部から江華へ入ってくる関門と近いので、より重要な墩台である。
墩台は海岸や境界地域に石や土で積み重ねた小規模観測・防御施設である。兵士が墩台で警戒勤務をし、外敵の斥候活動を始めとした各種の怪しい状況を調べて危機に処する。敵が侵略すると、墩台の中に備えられている兵器で防御戦を展開する。

干潟センター

干潟センター 江華島南端の干潟は世界4大干潟の一つで、天然記念物第419号として指定され、その規模も汝矣島の52.7倍。
如此里干潟が一望できる環境にやさしい丸木干潟センターは2005年に設立された。
潮の満ち引きが分かる水槽やヘラサギの模型が展示されており、2階は展望台とジオラマ展示館がある。
干潟と生物、干潟の重要性等、干潟についてのおもしろい解説と共にイソガニの観察、塩生植物の観察、ヘラサギの観察などができ、干潟を体系的に理解できる教育の場である。

花紋席文化館

花紋席文化館 韓国唯一のワングル工芸品である江華花紋席は高麗時代から伝えられた生活文化遺産で江華郡でのみ生産される誇らしい民族文化遺産である。
花紋席文化館を訪れると、花紋席はもちろん、ワングル工芸品の過去と現在、将来の多様なワングル工芸品の変遷過程を一目で見ることができる常設展示館がある。
現地の工芸人と一緒に花紋席やワングル品を作ることができるので、いい機会になると思う。

平和展望台

平和展望台 江華平和展望台は2006年末から関係者以外の出入りが厳しく統制されていた両寺面鐵山里民統線の北方地域に、他の地域にはあまり感じられない北朝鮮の独特な文化を近くで感じることができ、比較できるように竣工された。
軍部隊の専用施設、江華特産品と北朝鮮の特産物などを販売するお土産売り場や食堂、管理事務室、ゲストルーム、映像施設、展望施設等で構成されている。
展望台の前方約2.3kmの海岸の向こう側に禮成江が流れており、右側には開城公団、臨津江と漢江が合流する地域を境界に金浦愛妓峰展望台と坡州鰲頭山統一展望台、一山新市街地が位置している。左側には中立地域であるナドゥル島予定地と延白郡が位置していて北朝鮮の住民の生活や宣伝用偽装村、開城公団のタワー、松岳山、各種障害物などを眺望することができる。

高麗宮址

高麗宮址 高麗がモンゴル軍の侵略に対抗するために都を開京から江華へ移した1232年(高宗19年)から再び還都した1270年(元宗11年)までの38年間使われた高麗の宮殿である。
江華の高麗宮殿は1270年に松島に還都した際、モンゴルの圧力によって壊された。朝鮮王朝時代に入り、高麗宮殿の敷地には江華の地方行政官署と宮殿が建てられた。
江華の宮殿には行宮や長寧殿、萬寧殿、外奎章閣等があったが、丙寅洋擾(1866年)の時、フランス軍によって全焼した。今は江華留守(地方官)が勤めていた東軒と留守府の経歴(実務担当者)が勤めていた吏房廳等、朝鮮王朝時代の遺跡だけが残っている。

コインドル(支石墓)

コインドル(支石墓) 青銅器時代のお墓で支石墓とも呼ぶ。地上に机のように建てたテーブル式(北方式)と大きな石を小さな支石で支えたり板石だげ置かれている碁盤式(南方式)がある。
韓国は世界でも最も多くのコインドルが全国に分布している。重さが数十トン以上の天井石を採石して運搬し、作るまで多くの労力が必要だった。したがってコインドルはその当時の支配層の政治権力と経済力を象徴する、青銅器時代の代表的な遺跡である。
江華富近里の支石墓は周辺のコインドルと共に2000年にユネスコ世界文化遺産として指定された。

摩尼山

摩尼山 海抜472.1m摩尼山は三つの峰が並んでおり、遠くから見るとその姿が美しく壮大である。山頂からは南の方に西海(黄海)の島が見え、晴れた日には北の方に開城の松岳山が見える。
摩尼山頂の塹星檀は、「高麗史」や「新東國與地勝覽」(朝鮮王朝時代の地理書)には檀君が天神を祭る場所だと伝えられているが、慶州にある瞻星台のように基礎は天を象徴し丸く、檀は土を象徴して四角模様に積み上げられ、下円上枋形になっている。「三国遺事」の記録には檀君が北朝鮮の妙香山に現れた後、平壤に都を置き、国号を朝鮮と名づけた。その後、箕子に国を渡し山神になったと記されている。摩尼山と塹星檀の記録はないが、「與地勝覽」には檀君が平壤に都を置いた後、黃海道にある九月山で山神になった後、摩尼山で生活したという記録がある。

普門寺

普門寺 海を渡って席毛島から車で15分ほど行くと、落袈山の中、西海(黄海)が見えるところに普門寺が位置している。
韓国3大觀音の聖地としてお寺を創建した14年後にコさんという漁師が海で仏像と羅漢像22体を網で釣り上げ、お寺の右側にある石窟に奉安したという。この時からこの石窟で祈ると奇跡が起こるとされ、多くの信者が訪れている。
お寺の裏には磨崖石佛があり、その前から見える西海の景色もすばらしい。
普門寺の境内には約300人の僧侶が修道した当時、使ったという大きな碾き臼とイブキ、1975年に鋳造した梵鐘がある。

傳燈寺

傳燈寺 檀君王儉の3人の息子が建てたという伝説がある三郎城内に位置している。
入口にある對潮樓を通り抜けると正面に宝物第178号として指定されている大雄寶殿がある。大雄殿の内部には1544年に淨水寺で板刻され移された法華経木版104枚が保存されている。
冥府殿の向かいの丘を約100m登ると、朝鮮王室の実録を保管していた鼎足山史庫の敷地が復元されている。

広城堡

広城堡 江華の海岸警戒部隊である12鎭堡の一つで、1658年(孝宗9年)に設置された。
1871年(高宗8年)の辛未洋擾の時、最も激しかった激戦地であった。草芝鎭と德津鎭を経て広城堡に達した米軍は上陸する前に広城堡を砲撃した。既に丙寅洋擾(1866年)の時、広城堡に勤めていた将軍、魚在淵(オ・ジェヨン)が砲撃を避け安全な場所に兵士を隠した後、上陸した米軍と戦った。朝鮮軍は後退せず奮戦した。結果、屈服はしなかったが、性能が劣る兵器のせいで敗北した。朝鮮軍兵士はほとんど戦死したが、米軍は広城堡戦闘後、退いた。米軍の立場では、辛未洋擾(1871年)は戦闘で勝ち、戦争では負けたといえる。広城堡には広城墩台、魚在淵・魚在淳(オ・ジェスン)兄弟の忠義を褒め称える雙忠碑閣、身元不明の戦士将兵を祭る辛未殉義塚、孫乭項墩台、龍頭墩臺がある。

德津鎭

德津鎭 元々德浦鎭は江華にあったが、1666年(顯宗7年)に通津(今の金浦市大串面)へ移された。そして、そこに德津鎭が設置された。德津鎭は孫乭項墩台と德津墩台を管轄した。朝鮮王朝第19代国王、肅宗の時、ここに德津精舍という行宮を建てた。その後、行宮が邑内に新しく建立され、德津精舍は廃止された。1866年(高宗8年)丙寅洋擾の時、武臣、梁憲洙(ヤン・ホンス)の兵隊が德津鎭を経て、三郞城まで行き、フランス兵隊を撃破した。1871年(高宗8年)辛未洋擾の時は米国の艦隊と砲撃戦を展開した場所でもある。1976年、城郭と墩台、南障砲台、楼閣も建て直し、当時の大砲を復元して展示してある。

  • プレゼントがもらえる場所は
    • 甲串墩台案内所 : 江華邑 海岸東路 136番キル18、定休日:火曜日
    • 江華ターミナル案内所 : 江華邑 中央路 43、年中無休
    • コインドル案内所 : 河岾面 江華大路 994-12、定休日:水曜日
    • 草芝鎭案内所 : 吉祥面 海岸東路 58、定休日:木曜日
    • 韓屋観光案内所 : 江華邑 南山キル 14-1(中央市場A棟)、定休日:月曜日